ジャングルジムの早川です。

自由に書かせてもらいます!!

〜その3〜

多くの人がいろいろなこと、とりわけ就職について心配しています。しかし、私たちが最も心配しなければならない最大の課題は、教育の変革です。

今後30年の技術革命は、社会改革の鍵となります。そして今、世界の一流大学は、未来の社会でどんな人材が求められるかを考えています。そうしないと、そこで教えている学生の多くが仕事にありつけないという厄介な事態になるからです。どの学校も自分たちの教育のあり方について考える必要があります。

これまでの社会は知識駆動型でしたが、これからは知恵と体験が重要になります。これまでは製造が中心でしたが、将来は創造が中心になります。これまでは標準化、大規模化を追求していましたが、これからはパーソナライズ化、差別化を追求するようになります。

これまで、私たちは人をロボットにしていましたが、これから、私たちはロボットを人にするかもしれない。ロボットは人より賢くて力が強く、休息を欲せず、怖がることも怒ることもありません。ただし、ロボットは人類が持つ知恵を永遠に手にできないでしょう。

データの時代、ロボットはさらにロボットらしく、人はさらに人間らしくなれます。人はロボットと競争するべきではありません。どちらがすごいか、どちらが速く走るか、どちらが知恵があるか。人はロボットと囲碁をするべきではありません。囲碁は人のために設計されたもので、人とロボットを比較するツールではありません。

だから私は、未来は知識の競争ではなく、創造力、想像力、知恵、体験の競争だと考えています。リーダーが担うべき責任の競争、そして自立した思考の競争でもあります。未来の教育は知識だけを重視してはいけません。

 

このあたりを読んでいて思ったことは、この人の話は本当に聞きやすいなということです。

文字で起こされたものを読んでいるのですが、ここまで頭にスッと入ってくる文章はあまりないです。翻訳した人もすごいです。

私も見習わなくちゃ←ホントに

 

さて、今後の教育の行き着く先、教育のあり方ということですが、これは難しい問題です。

よく本やニュースで今ある仕事の○割がAIにとって代わられるというようなことを見聞きしますし、この手のことを話題にした入試問題も多く見られるようになっています。

(武蔵と女子学院と富士見の国語が同じ年にこれをテーマにしていました)

 

このような社会だからこそ私学、中高一貫校なのではないかと私は思います。

お家に届いていた他の塾のチラシに

中高一貫校は同じ学力の人が集まるので、同じタイプのひとばかりの集団となってしまい、そこには多様性はありません。

といったことが書いてありましたが、果たしてそうでしょうか?

たしかに、同じ試験を合格した者が集まるのでだいたいの学力は似たようなものになるでしょう。そこは否定しませんし、私学が高い合格実績を出しているのもそこが理由のひとつとなっています。

 

私が違うなと思ったのは同じタイプの人ばかりの集団という点で、さすがに性格や生徒ひとりひとりのキャラは私学だからといって一つにまとまるようなものではないと思うのです。

むしろ、様々な地域から集まってくる生徒たちと関わることも多様性の一つなのではないかと思いますし、部活や委員会の先輩・後輩の縦つながりが前後6年の世代の中で強固なものとなっている。転勤があまりないので卒業後に教員室に遊びに来ても自分を覚えてくれている先生たちがたくさんいるなんて環境は必ずしも金太郎飴のようなものではありません。

 

私の中高にも本当にいろいろな人がいました。

というより、いろいろな人がいない学校なんていうものは私立でも国立でも公立でもこの世に存在しないのではないでしょうか。

 

そして中高時代の6年間、特に中学時代を高校受験のために過ごすのではなく、もっと人格形成に関わることを学べるという点で私学が果たせる役割はとても大きいのではないかと思います。

マー氏の言うように、知識駆動型の社会から、知恵と体験が重要となってくる社会へと変革していく中で内申点が○点以上でかつ共通の県立入試で○○○点以上なら□□高校へというようなことを考えながら13〜15歳の時期を過ごすのではなく、その学校ごとに大切にしている分野や得意な分野、例えば実験やフィールドワーク、はたまた生徒に大きな行事の運営を任せきってしまうといったような体験とそこで得られる知恵というものが知識のみを重視しない他分野における競争において大きな武器となるのではないかと思っています。

 

そして、その社会の変革は教育の変革のきっかけとなり、教育の変革はその入り口の門となる入試の変革のきっかけとなります。

大学入試共通テストの初回が今年あり、その影響からかここ最近は中学入試も少しずつ変化していっています。

令和の中学受験はまさに入試における過渡期なのではないかと思うほどです。

 

私は塾の人間ですので、社会や教育の転換といったマクロな視点ではなく、この学校の入試問題を攻略するにはというミクロな視点で目の前のテキストや過去問と向き合っています。

しかし、それだけでいいのかというと決してそうではないということをこの記事を読んで痛感しました。

まだ、中学入試には反映されないかもしれない微妙な変化に敏感になることが重要なのではないかと思っています。

 

といっても中学入試問題はまだ知識がまず重要というべきかもしれません。

都立中高一貫校の問題を見るとビックリしてしまいますが、私立の問題は塾で身につけた知識をそのまま吐き出すだけでは難しいかもしれませんが、それらを組み合わせてしっかりと対策を講じていけば、手も足も出ないという事態にはなりません。

私も楽しい授業を心がけてはいるのですが、受験にでないようなことを延々と語ったりするわけにはいきませんので、塾の指導(教育)が大きく変わってしまうことは少なくとも今後3年はなさそうですし、変えようとも思っていません。

 

ただ、先ほどにも書いた通りのんびり参考書と入試問題を眺めていたら入試が全然違くなってしまって対処不能になってしまったということはないように、常に大きな視点で私自身も勉強しないといけませんね。

 

それに応じて、指導も日々アップデートしていかなくては!と思いました。